中山道を歩いていると
こうした石碑があることに気が付きます
歴史的価値がありそうですが、実際にこれは何の為にあるのでしょうか?
どこにある?
こうした石碑は中仙道に2つ確認することが出来ました
1つ目が桶川小学校近くの加藤生花店のある交差点にあります
2つ目がそこから中山道を上尾方面に20分ほど歩いたところにあります
木戸跡って?
桶川宿の町並みには、宿場への出入り口としての役割を果たす木戸が設けられていました。この木戸は宿場の両端に設けられており、京側(鴻巣宿方面)が「上の木戸」、江戸側(上尾宿方面)が「下の木戸」と呼ばれました。(中略)
引用:市指定文化財|埼玉県桶川市 Okegawa City Official Website
構造や高さなどは不明ですが、文久元年(1861)の皇女和宮下向の時には、高さ一丈三尺(約4メートル)、幅八寸(約0.24メートル)の角材を建てて改設したといいます。木戸には木戸番がいて、明け六つ時に開門し、暮れ六つ時に閉門していました。(後略)
こちらが「上の木戸」です
見た目からかなり新しいものと推測出来ます
こちらが「下の木戸」です
石碑に掘られている文字を見ますと
「第7次の桶川宿は文久元年(1861年)に高さ一丈三尺巾の角材で柵を建て」
と書いてありますね
1丈(=約3.03m)=10尺であるので3.9mほどの高さの柵で
なおかつ
巾(ここでは幅という意味)が8寸、1尺=10寸であるので幅24cmであったとわかります
説明どおりですね
4mだとそこまで巨大ではないですね
木戸番がついていて、時間になると開閉門していたらしいですが、どういった形で桶川宿を隔離していたのか気になりました
まとめ
木戸跡の位置がわかると桶川宿の範囲を把握出来るので面白かったです
宿場町として機能するためには、このくらいの規模感で十分だったのだなと思いました
コメント